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東京地方裁判所 昭和38年(合わ)406号 判決

被告人 八田利昭

昭一七・五・二六生 無職

主文

被告人を無期懲役に処する。

理由

(被告人の生活歴と犯行までの経緯)

一、被告人は旧小倉市で生まれ、昭和二十六年、八才の頃母と死別、同二十八年十月一家で上京し、東京都内の小、中学校を卒業したのち、江東区内の工場で旋盤工見習となつたが、同三十三年十一月頃から数回にわたり、家出、睡眠薬等による自殺企図をくり返し、また、放火未遂、傷害等の非行におよび、家庭裁判所で保護観察、医療少年院送致の各処分を受け、昭和三十六年十一月頃からは数ヶ月間頻繁に売血を重ねたため入院し、同三十八年四月頃蓄膿症の手術を受け、さらに自殺も計る等し、その間短期間で転々と勤務先を変え、昭和三十八年七月はじめ頃から江戸川区東小松川二丁目四千百十五番地銅鉄商新宅繁信方で店員として働くようになつたものである。

二、被告人は右新宅方に勤務するようになつてからは、同人方から徒歩数分のところにあるアパートの、同人が借りている一室に新宅の長男明および次男孝二郎とともに起居していたもので、当初の二、三ヶ月間は仕事も真面目にやり、新宅方の家族とも唯一人の雇傭人として打ちとけていたが、日がたつにつれ、自己の仕事に対する能力に自信が持てなくなり、また、新宅繁信、明をはじめその家族らが被告人を批判、排斥するのではないかとその言動が気にかかり、新宅方で働き続ける気持を失い、履歴書を作成して転職の用意をしたりしていた。

(罪となるべき事実)

被告人は、前記のような生活を続けているうち、昭和三十八年十月頃から新宅繁信の四女恵子(当時十一年)を殺害しようとの考えを抱きはじめ、その実行につきあれこれ思いめぐらす日が続くうち、殺意を抑止することが出来なくなり、同年十一月二日ついにその実行を決意し、翌三日および四日の両日をいずれも都内を遊び廻つたうえ、同日午後五時すぎ頃、前記新宅方(東京都江戸川区東小松川二丁目四千百十五番地)に赴き、テレビを見ていた恵子に「いいものをあげるからアパートに来ないか」と同女をだまし、近くの同区東小松川二丁目四千百三十六番地山口荘アパート二階四畳半の間の自室内に連れ込み、まもなく同室のテレビに見入りはじめた恵子の背後に迫り、しばしためらつたが、いきなり予め用意し携えていたハンマー(昭和39年押第304号の1)で、殺意をもつて同女の頭部を数回にわたり強打し、同女に頭部打撲による頭蓋骨骨折を負わせ、よつて同女をして脳挫滅のため、同月六日午前五時三十分頃、同区東小松川三丁目二千八百三十四番地津端病院において死亡するに至らしめ、もつて殺害したもので、被告人は右犯行当時心神耗弱の状態にあつたものである。

(証拠の標目)(略)

(犯行の動機について)

本件殺人の動機については、検察官は、被告人が自動車の運転免許をとるための経費や一人でアパートを借りるための費用等にあてる金銭欲しさから、雇主の子供を殺して死体を天井裏に隠し、生存するように装つて脅迫文を送り金員を要求しようとの計画のもとに敢行されたものである、と主張し、これにほゞ符合する被告人の検察官に対する供述調書の記載および公判当初の被告人の供述等が存在するのであるが、右供述内容は、これに照応する客観的情況に乏しく、とくに、犯行後右計画どおりに事を運ぼうとした形跡を見出し得ないことや、被告人が精神鑑定の段階において従前の供述を覆えすに至つたこと、あるいは判示および後記のとおり、被告人には従前、結局理由の判明しない自殺未遂や放火事件、女性刺傷事件等があつてその精神面に異常の存在が疑われていたことを併せ考えると、本件犯行の動機を検察官主張のように金銭入手の手段、方法として積極的に認定することは困難である。他方、被告人は公判の途上および精神鑑定の際に、時には、被害者の円満な家庭を破壊したかつた、とか、いくら自殺を企てても死ねないので死刑になりたいため、とか異つた犯行動機を供述するに至つているが、それら供述の全過程を通ずると、被告人自身その供述を確かなものとして居らず、自らも犯行動機ははつきりわからない、というのが基本的供述態度と認められるのである。本件においては、明確な犯行動機を認め得ず、この点もまた後記のような理由による心神耗弱の認定をする理由の一端ともなつており、動機不明なものとして、判示のように事実摘示するに止めたわけである。

(弁護人の主張に対する判断)

一、弁護人は、本件犯行当時、被告人は精神分裂病に罹患し、あるいはこれと同様にみなし得るほど高度の精神障碍の状態にあり、心神喪失の状態にあつたものであるから無罪である旨主張しているので、以下、裁判所が被告人の犯行時の精神状態を心神耗弱と認定し、弁護人の右主張を排斥した理由を述べることとする。

二、被告人の略歴は判示冒頭に認定したとおりであるが、なお、責任能力の判定に必要と思われる限度で補足して摘示すると、被告人は中学校を卒業した昭和三十三年の十一月中旬頃第一回目の家出をし、宇部市付近の車中で睡眠薬による自殺を企て未遂に終つて以来、翌昭和三十四年四月住込先での自殺未遂、同年七月の家出と京都方面で列車の中での服毒自殺未遂をくり返し、さらに同年十一月三十日家出し京都市内の旅館でブロバリンを服用して自殺を図つたが失敗し、部屋のカーテン等に放火して焼死による自殺を図つたが果さなかつた(もつとも、被告人はこの自殺行為は多分に狂言的な気持で行われたと述べている)。この事件について被告人は昭和三十五年一月、東京家庭裁判所で審判を受け、保護観察に付されたのであるが、東京少年鑑別所では被告人に対し、知能は普通級であるが、情意面においては、抑うつ、過感、自己不確実、内閉、気分易変、自己顕示等の徴標に著しい変調がみられ、かかる情意変調および環境に由来する心的葛藤に基いて、現在、抑うつ感情、離人症、不安感、自信喪失、自殺念慮、関係思考等の精神症状を呈している、として神経症と診断している。その後、被告人は、同年七月十九日、兄の品物を持ち出して警察に保護され、父と保護司宅を訪ねる際、逃走し、その翌々日都下青梅の御岳山中で服毒自殺におよぼうとしたが、断念、通り合せた未知の若い女性をナイフで刺す事件を惹き起した。被告人はこの事件で東京家庭裁判所において医療少年院送致の決定を受け、昭和三十六年八月三十一日まで関東医療少年院に収容されていたが、被告人に対しては前同鑑別所から前回よりも強く情意変調の高度であることが指摘され、精神分裂病の疑いもあり、専門医による経過観察の必要があるとされ、また、その頃東京家庭裁判所科学調査研究室でなされた精神検査結果によれば、被告人は精神病質の程度で、分裂的傾向といわれる特徴が目立つているが精神病とみられる確実な徴候はない、今後の専門的経過観察は必要である、とされていた。なお、被告人の少年院収容中も精神分裂病の罹患の点は確認はされなかつた(証人荒井進の供述参照)。少年院退院後、被告人は売血をくり返したり、印刷会社や電器会社につとめたりしていたが、昭和三十八年四月に蓄膿症手術のため入院した際五回目の服薬自殺を企て、五十時間以上も意識不明であつた。その後しばらくして京都方面に家出、昭和三十八年九月に本件新宅方に友人の紹介で就職した。以上のような経過が認められる。

三、被告人の本件犯行時の精神状態についての鑑定人の所見は次のとおりである(当裁判所は、医師吉岡真二、同野口晋二の両名にそれぞれ鑑定を命じたので、以下、各鑑定人の鑑定の結果および同人らの当公判廷における鑑定人兼証人としての供述を、便宜吉岡鑑定、野口鑑定と略称することがある)。すなわち、吉岡鑑定は、被告人は昭和三十三年春頃から精神分裂病を発病し、病勢増悪期にはしばしば自殺、放火、傷害事件等を反覆しながら現在に至つたものであるが、昭和三十八年九月頃から右精神分裂病が増悪し、本件犯行時被告人は被害・関係・注察・追跡妄想・妄想気分などの精神症状を基盤とした病的な不安・緊張状態に陥り自己のおかれた状況や事態につき正当に把握し判断する精神的能力を欠いていた、といい、野口鑑定は、被告人は犯行当時狭義の精神病に罹患していた徴候はなく精神医学上精神病質者(あるいは性格異常者)といわれる偏倚した人格者であつてその心理機構は正常人の心理をもつておしはかることのできる範囲のものであるが本件犯行の明確な意図は不明である。ただ現象としてはいずれも人間の基本的欲求(自己保存欲)である逃避欲(被告人の場合自殺傾向)が攻撃欲(被告人の場合殺人)に転じその緊張の解消を求めたものと考える。犯行におよんだのは理性を以つて動機を統御出来ない精神病質者であるからに外ならない、としている。

四、本件犯行時の被告人の精神状態は、精神医学的にもかなり判定の困難なものであることは、すでに詳記したように東京少年鑑別所、関東医療少年院等の観察において精神分裂病を疑われつつも、これと確診されたことはなく、本件の両鑑定も精神医学的立場からは鋭く対立する見解を示していることからも十分推測される。

さて、本件公判において、被告人は(1)昭和三十八年十月下旬頃にも本件の被害者恵子を殺害しようとして住居附近の空地に誘い出したが、新宅方の孝二郎が来たので思い止まつたことがある。(2)本件犯行に際し、ハンマーを手にし恵子の背後に迫つたが、かわいそうに思つてしばしためらつたことがある、といい、この点の供述は吉岡鑑定人に対してもほぼ同様であつて、右(2)の点につき、吉岡鑑定は、被告人は既得の教育や思考の習慣に形式的に従つて、いわば感情を伴わず犯行を「こわい」事とか、「わるい」事と考えた現象であるとするが、同鑑定人との応答においては、「かわいそうだという気も多少あつた、無心にテレビを見ていたから……。」ともいつて具体的に感情的反応を示した動きを述べている部分もあり、本公判でも「かわいそうな気になり迷つた」という供述が比較的自然な応答として出たものと認められる等、自然な感情の発露を示すものではないとすることには疑問が持たれるし、(1)の点については、右鑑定は特にふれる所はない(同鑑定によると同じ増悪期内のことに入る。)が、これも首肯し得る状況判断による行動抑制を示したものではない、とするには、それが外的条件に即応して取られている行動を示すだけに特別な理由付けが必要であろうし、加えて被告人が精神分裂病者であることに異論もある状況である点を考えると、右の供述がそれぞれ首肯し得る状況判断とそれに基く行動抑制や自然な感情の発露を示すものでないと断定するのは困難と思われる。

精神医学的見地から、被告人が精神分裂病者であるか、精神病質者であるかの論断は、責任能力を判断する観点からは主要ではなく、専門家の職分に任せこれに立入らないが、本件の両鑑定のいずれの立場をとるにせよ、被告人の生活歴、犯行動機の不明、犯行の態様等にみられる異常性、犯行後の反省のない特異な態度等から、本件犯行時被告人が是非を弁別し、これに従つて行動する能力に著しい障碍があつたと判断出来るが、その精神障碍がより以上に増悪した程度にあつて、右のような能力を全く欠いたとすることは、少くとも右に指摘した点、また当公判審理全般を通じて示した被告人の各訴訟関係人との応答のまとまり方等からみて、困難といわざるを得ない。

以上の次第で、弁護人の心神喪失の主張を採用せず、心神耗弱と認定をしたわけである。

(法令の適用)

被告人の判示所為は刑法第百九十九条に該当するので所定刑中死刑を選択するが右は心神耗弱者の行為であるから同法第三十九条第二項、第六十八条第一号により法律上の減軽をしたうえで無期懲役に処し、訴訟費用は被告人が貧困のため納付出来ないものと認め刑事訴訟法第百八十一条第一項但書により全部被告人に負担させないこととする。

(量刑の事情)

本件は残忍非情の一語に尽きる兇悪な犯行である。日頃恩義のある雇傭主の四女であり、十一才の純真で何の罪とがもない、しかも被告人に対してもまつたく信頼しきつていた少女の頭部を鉄槌で乱打し、苦悶呻吟の末死に至らせた本件犯行の態様、結果はまことに非道のきわみであり、平和な家庭で親兄弟の暖かい愛情につつまれて生活していた被害者にとつじよとして訪れた断末の苦痛は察するにしのびず、遺族の驚き、憤りと悲しみもはかり知れないものがある。また、犯行が世間に与えた衝撃もまことに大きいのである。本件犯行自体からは区々たる情状を論ずる余地はなく、被告人に対して極刑をもつて臨むのもやむを得ないと思われる。

しかしながら、被告人には前記認定のとおり、少年当時より精神病を疑わせる強い人格の偏りがあり、本件犯行も高度に変調をきたした異常な精神状態下に行われたもので法律上心神耗弱者の犯行と認められ、刑の減軽を要する場合に該当するので、減軽した刑の範囲内で、最も重い無期懲役をもつて処断するのが相当であるとの結論に達し、主文の刑を量定した訳である。

そこで主文のとおり判決する。

(裁判官 吉沢潤三 佐野昭一 小川英明)

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